5月15日、沖縄の祖国復帰40年を迎えて

 大正区で街頭宣伝行動

 「沖縄の祖国復帰(1972年5月15日)40年」という節目でもあるこの機会に、何か行動を起こそうと企画し、大正区での街頭宣伝行動に取り組みました。日本共産党大正区委員会が事前に宣伝も行い、当日30名の方の参加を得て、サンクス平尾商店街と区役所前噴水広場の2カ所で宣伝行動を行いました。付近の住宅に1500枚のビラも配布してきました。
 ちょうど15日付の朝日新聞に、中央実行委員会などが呼びかけた「普天間基地の無条件撤去を」の意見広告が出されたこともあり、2,980の団体と4,850人の個人の賛同で、沖縄二紙(14日付)も含めて紙面に掲載されたことを紹介しました。三線も用意して、沖縄民謡を歌いながらすすめようと企画していましたが、あいにくの雨で区役所前ではできませんでした。大阪安保から植田事務局長をはじめ5名、大教組の家串さん、新婦人の沖野さんがこの宣伝行動に参加しました。
 演説を聞いていた人は「私の息子は、沖縄の米軍基地で働いています。確かに基地があるゆえに産業などの経済発展が遅れているので、沖縄では働く場所がないことが根本原因です。」と言って、普天間無条件撤去の署名をされました。また、北恩加島の団地で宣伝していると、沖縄戦やアメリカ占領下に沖縄で生活してきた糸満市出身の女性が、宣伝カーによって来て、「脳こうそくを患い、不自由な身だが、あんたたちの運動に激励されている。ガンバって」と話されました。

 

「4・28沖縄・安保シンポジウム」に134名の参加

 サンフランシスコ条約」と日米安保条約(旧)が発効したのは、1952年4月28日。沖縄が米国の施政権下に置かれたことから、4・28は「民族屈辱の日」とされました。
 60年目を迎えるこの日に、住まいの情報センターで沖縄・安保シンポジウムを開催し、134名の参加を得ました。小泉親司さんの基調講演は、北朝鮮や中国についての外交・経済上の緊密な関係こそ重要で、アメリカ依存と軍事一点張りの日本の防衛政策の欠陥を明らかにしました。また、岩国基地に関する吉岡光則さんの報告、横須賀基地に関する新倉泰雄さんの報告など、日本本土における沖縄化ともいえる米軍の機能強化の実態が明らかにされ、日米安保条約の廃棄の必要性が訴えられました。
 寄せられた感想では、「『抑止力』を繰り返し声だかに宣伝する人たちに対して、私たちがもっともっと日米安保条約のことをよく知れば、どう動くべきであるかが見えます。小泉さんの基調講演はとても分かりやすいお話で、もっとお聞きしたかったです。今日学んだことを少しでも多くの人に知らさねばの思いを強くしました。」「岩国基地でのなし崩し的な基地誘致、犯罪の野放しのひどさ。吉岡さんの一致点での前進が大事というのは他の多くのたたかいにも共通していると思う。」「市民は決して現状を肯定していない!新倉さんの話に、勇気づけられるとともに、原発の例外とされてしまっている原子力艦船の存在。この認識のごまかしが安保だという指摘に目を覚まされた。『本当に憎むべき凶器は、あるがままの姿に満足して、あるべき姿のためにたたかわぬこと』(ラマンチャの男)」
 また、今回初めて取り組まれたシンポジウムについても「講演・報告では聞けない話が聞けて非常に良かった。やっぱりそうかと納得させられた。」「安保廃棄の問題での大きな壁は「抑止力」論と米軍基地がそれによって経済的恩恵をもたらしている問題があるのと同様、原発廃絶の問題も、原発立地の地元が経済的に潤う問題があり、共通する課題だと思いました。しかし、そのことは安保の犠牲を沖縄に、原発の犠牲を原発立地地元にいつまでも押し続けていいのか、そのことを考えないといけないと感じた。」(なお、大阪民主新報5/13号に詳細な報道がされています。)




 「大阪安保500ヵ所学習運動」さらに強化を

  大阪安保学習運動は、1月28日のスタート集会を皮切りに、2月〜4月の集中期間を設定しましたが、5月15日現在、20か所の到達になっています。各団体が手立てや工夫を尽くして、構成員の疑問や関心に応える学習運動の組織が不十分な点が指摘されます。今後も、日米安保が正面から問われる情勢になっているもとで、学習運動の重要性はいっそう明らかです。その一つとして、関西勤労協とも相談しながら、職場や学習サークルでの安保学習会の具体化も強めていきます。
 中央安保と労働者教育協会共催の「6・16安保学習推進のつどい」は、団体・地方がすすめてきた学習運動の経験や教訓を交流する場として位置付けて、加盟団体からの参加をすすめていきましょう。
 グループでの読み合わせ(これも学習会)に利用できる資材は以下の通りです。


◇「1からわかる安保」(200円)
◇「原発・原子力空母と日米安保」(400円)
◇「アメリカのポチと嗤われる日本の不思議」(1,429円)牧俊太郎著
◇パワーポイント「3・11を見つめ基地、TPP問題を考える」(CD、1000円)
 



大阪民医連の2012沖縄平和ツアーから

 大阪民医連は、毎年新入職員などを対象に、沖縄平和ツアーを取組み、参加者の人生観や世界観を変えるものになっています。全国的にもこうしたツアーがすすめられ、沖縄の基地問題を自分の問題に出来る取り組みとなっています。民医連は7月末に辺野古支援・連帯行動を、生協労連が6月末60名規模の「沖縄基地・戦跡めぐり」、建交労が6月末に沖縄で300名規模の伊波さんの講演を含む集会など予定されています。今回は、今年2月に行われた民医連の沖縄ツアー参加者からの感想文を紹介します。

 Aさん(24歳女性・薬剤師)
◆心に残ったこと       
 壕に入ったことです。真っ暗な中で医療を行っていたことにびっくりしました。ひめゆり平和祈念資料館の宮城喜久子さんのお話は、リアルで心に響きました。「今が平和であるので生きていられる」という言葉は印象的です。
◆初めて知ったこと
 辺野古の現状は、まったくと言っていいほど何も知識がなく、驚きました。日本の防衛費、思いやり予算、米軍基地の中の無駄な設備など詳しくは知らなかったので、勉強になりました。
◆ツアー3日間の感想
 ハードスケジュールでした。そして、とても寒かったです。私自身知らないことが多かったので、たくさん学ぶことが出来ました。
◆大阪に帰ったら何をしますか
 辺野古の現状を伝えていきたいです。
◆その他なんでも
 このような機会を作っていただきありがとうございました

 B君(22歳男性・介護職員)
◆心に残ったこと
 一日目の荒崎海岸の話とその夕方の宮城喜久子さんの話がとても印象に残りました。
◆初めて知ったこと
 高校の修学旅行でひめゆりの塔や糸数の壕、嘉手納基地などは行ったので、大体のことは知っていましたが、学校教育で学習した内容よりどれもが深く、また、自分自身が考えさせられる内容でした。
◆3日間の感想
 教育が、戦争が人を人じゃなくしてしまう。そのことを目で見て、肌で感じて、自分にすごく刺激になりました。とくに、宮城喜久子さんの話の中で「今、どうして生きていますか?」という問いを聞いて、何も答えられなかった自分がすごく無知で恥ずかしかったです。
◆大阪に帰ったら何をしますか
 見たこと聞いたことをそのままのことを利用者やスタッフ、知人に話し、できるなら話し合い何かできることを探したいと思います。
◆その他なんでも
 普通にサラリーマンになっていたらできないような経験をさしていただいてありがとうございました。





大阪AALAの沖縄連帯・交流ツアー報告

 在日米軍基地をなくし・安保条約廃棄のとりくみがいっそう重要になっています。沖縄AALAは全国の都道府県の中で最初に作られ今年50周年を迎えました。あの海上大会を提起し世界的な運動となり復帰運動の中心的役割を果たしました。こうした沖縄AALAと連帯・交流し、沖縄の基地を中心とした在日米軍基地の撤去、日米安保条約廃棄の運動を発展させるためこのツアーを計画し、4月に16名で行ってきました。
 1日目は石灰岩の山を掘りぬいて作られた日本陸軍病院20号壕、ひめゆりの塔と資料館、摩文仁の丘、平和の礎、朝鮮人慰霊塔などを見学。2日目は。宜野湾市のど真中にある世界で最も危険といわれる普天間基地を丘の上の展望台から視察。宜野湾市役所へ寄せ書きを持って行きましたが、議員不在のため議会担当の女性事務員さんに手渡しました。「私も気持は同じです」と涙を流され感謝されたことが印象的でした。
 読谷村の基地外にある米軍住宅地「安保の見える丘」からは恐ろしく広い嘉手納基地、戦闘機がすさまじい轟音をとどろかせてタッチ・アンド・ゴー。嘉手納町の大部分83%を基地が占めています。「基地の中に沖縄がある」というのは誇張ではありません。この2日間は、沖縄平和ネットの事務局長・横田さんのガイドで頭がパンクするぐらい沖縄の基地の様子を聞くことができました。
 3日目は沖縄の一番北、沖縄の水源であるヤンバルの森に向かいました。その途中、大宜味村在住の日本AALA常任理事・沖縄AALA理事の幸野堯さんと合流し、彼の案内で、高江のヘリパッド工事を24時間体制で監視・阻止するテントとキャンピング・カーを激励しました。柵を乗り越えヘリパット基地も見てきました。基地闘争の中心で頑張っておられる伊佐さんの同級生で、息子さんが北海道の自衛隊でリンチされ殺され裁判をしていられる島袋さんが来ておられて、お互いはニュース等で知っていたが40数年ぶりに再会されました。その島袋さんが「伊佐さんを助けてあげてください、1人1人の力は小さいけれど力を合わせれば解決できますから」と自分のことはあまり語らず淡々と話されたことが胸に染みました。4日目も首里城公園内にある、検討委員会で決定した表記から「慰安婦」「住民虐殺」を県が独断で削り、強行に設置した第32司令壕説明板も見てきました。
 最後の夜は沖縄AALAの仲間と交流、内村千尋さん(瀬長亀次郎さん次女)からお父さんのことを中心にしながら、復帰前の壮絶な闘い、復帰後の闘いについて話を聞きました。話は、見、聞き、感じたことを一つひとつ結びつけるすばらしい内容でした。とりわけ、お話の中の「沖縄は復帰したものの、さまざまな密約がかわされ、県民の望んだ『基地を全面返還し、緑豊かな沖縄へ』の声は届きませんでした。このことが今も基地被害に苦しむことにつながっているのです」が私たちの胸に深く刻み込まれました。


《参加者の感想から》

 「嘉手納基地、2機のF15戦闘機がアクロバット飛行、胸を突き刺すような衝撃音。こんな衝撃音を聞きながら勉強する子供たちのことを思うと怒りが湧きあがってくる。『首相も防衛大臣も子供たちと机を並べて一日でも座ってみろ!』と叫びたかった。百聞は一見に如かずと言われますが、来て見て、聞いて『なぜこんな場所にヘリパットか』の思いも強くしたのでした。」
 「懐中電灯を手に真っ暗な陸軍病院20号壕へ。背を伸ばして歩けぬ高さ、片側に人一人寝られる板を置けば、すれちがうのもやっと。これが病院?ケガを負い動けぬ者はきっと助けに来るからと置き去り、米軍に捕まる前に死を選べと教えられる。それでも当時を生き抜き、今90歳で京都におられるオカさんのことをガイドさんから聞き、生きていてくれてよかったと暗闇で涙する。」



大阪安保企画 与那国島ツアーに19名が応募
自衛隊基地反対の島民激励・交流の旅

 大阪安保として、南西諸島への自衛隊増強に反対する島民を激励するため与那国ツアーを企画し、三月末から募集を開始し、すでに申し込みを締め切りました。19名(うち女性5名)の方が応募されました。6月11日から14日までの4日間の取り組みです。「前から行きたいと思っていましたが、遠い場所であきらめていました。今回この機会しかないと思い、申し込みました」など期待の声が寄せられています。与那国島や石垣島での反対闘争をされている方々との連絡も取りながら、充実した内容になるよう詳細を詰めています。



*編集後記*

 2012年3月16日、大江健三郎氏は、フランスの「ル・モンド」紙のインタビューに答え、「今回の事故で明らかになったのは、日本社会の民主主義が脆弱なものであったということです。こんなに深く日本の民主主義が未熟であったことを感じたことはありません。エリートたちが真実を隠すため陰謀を巡らせていたことが明らかになって、私は動揺しています。ぼくたちは、そんなに騙しやすい国民なのでしょうか?」と述べています。(世界6月号) 反戦地主の島袋善祐さんが「抑止とは沖縄の言葉で『ユクシ』、これはウソという意味です。沖縄を守るという米軍が火をつけ、少女を暴行するわけさ。これは『ユクサー』(ウソつく人)だよ」(赤旗日曜版5/6)―真実を見極める人たちを多くつくる努力が問われている時代になりました。(Y・U)