終戦60年−平和と憲法守る決意新たに
第27回北海道平和ツアー1,500キロ走破
ことしで27回目を数える「北海道平和ツアー」には、大阪をはじめ広島・群馬・東京・千葉などから17人が参加しました。「国会解散、総選挙」という情勢の激変のため参加を中止した人も何人かあって、昨年の半数でしたが、戦後60年の節目の夏に、憲法と平和を守る決意を新たにする旅となりました。7日間のバスの走行距離は1530キロを越え、一日平均約200キロを移動したことになります。
千歳では、初日(8月18日)も最終日(24日)もF15戦闘機の轟音が間断なく聞こえ、2機編隊で離陸・旋回訓練をする機影を何度も目の当たりにしました。(この戦闘機訓練で9月5日に積丹半島沖で接触事故を起こしている)
矢臼別演習場では実弾射撃訓練の真っ最中で、川瀬牧場にバスが到着したときも、翌朝、出発するときも、ドカン、ドカンとものすごい砲撃音が連続してとどろきました。自衛隊から別海町への「演習通知」(川瀬牧場に近いゲートの前にも「演習告知」が掲示されている)によれば、8月3日から15日までの13日間で155ミリ・203ミリ自走榴弾砲あわせて5010発、130ミリ多連装ロケット弾1320発が発射されたことになっています。(このうち6〜8日には41回目の「矢臼別平和盆踊り大会」が行われた)
演習場周辺の牧場で搾乳がおこなわれる夕刻の4時30分から7時までは、射撃を控えていますが、通常は朝8時30分に射撃が始まり、夜10時まで演習が続くことが多く、大・中・小のヘリによる偵察・戦闘訓練や爆破訓練も併行して行われます。 私たちが川瀬牧場を訪れた20日の夜も10時までの演習が告知されていましたが、なぜか夕刻以降砲撃音は途絶えました。
使用された砲弾は1発40〜60万円といわれており、「演習通知」に記載されていながら、やらない時や射撃数が通知より少ないこともあるとのこと。「予定はして、予算に計上して、実際は間引いて金を浮かしているんじゃないか」という推測も出ているといいます。
それにしても何という税金の使いようか、と腹がたちます。
この6月下旬から8月初めにかけて、伊丹に総監部を置く中部方面隊も、車両1200両、兵員4300人、戦車19両、航空機13機、火砲20門を動員して、矢臼別で「北方転地・長距離射撃訓練」を行いました。
大阪市の面積の4分の3の広さを占める日本最大の演習場・矢臼別では、年間300日以上、戦車砲、無反動砲、地対空・空対地誘導弾、地雷原処理ロケット弾、榴弾砲、多連装ロケットシステム(多目的子爆弾644個内蔵、フットボール場100個分の面積を破壊=「地上発射のクラスター弾」)などの実弾射撃や航空機の訓練、爆破訓練・「音源標定訓練」など各種の演習が行われています。
1997年からは、沖縄米海兵隊の実弾砲撃演習も毎年行われ、今年で8回目。さらに「米軍再編」の一環として沖縄海兵隊の矢臼別移駐も検討されています。実弾砲撃演習の移転に反対する町民多数の声を無視して、鈴木宗男議員(当時)の恫喝に屈服、いち早く移転を認めた佐野・別海町長は「補助金が出るなら海兵隊も結構という姿勢です。
旭川の第2師団司令部の周辺を一周しました。駐屯地の中に「北鎮館」という資料館があり「ご自由にお入りください」という看板があったので、急遽手続きをしてバスのまま中に入りました。
イラクへの派遣の先陣を切ったのはここの部隊350人を中心に、帯広・千歳など各地の師団から選ばれた五百数十人の隊員です。戦前は1900年(明治33年)から旧陸軍第7師団が置かれ、「軍都・旭川」の面影は師団司令部と道路をはさんで向き合う「護国神社」にも色濃く残っています゜。1904年の日露戦争・旅順二〇三高地攻防戦や、続く「奉天の会戦」、昭和14年のノモンハン事件、太平洋戦争・ガダルカナル島とアリューシャンのアッツ島の激戦(昭和17〜18年)でもここの部隊が投入され、それぞれほとんど全滅に近い死傷者が出ました。
ちょっとした図書館ほどの広さを持つ2階建ての「北鎮館」には、小泉総理や石破防衛庁長官(当時)らを真ん中にしたイラク派遣部隊全員の集合記念写真などとともに、1950年に札幌・真駒内で創設された「警察予備隊第2管区総監部」の銘版まで飾り、「旧陸軍第7師団ゆかりの地に移駐・・第2師団と称号・編成を変えつつ・・訓練錬度・装備のいずれにおいても、わが国防衛の最重要正面である北の守りのため・・名実ともに最精鋭の北鎮師団として成長してきた・・」と歴史を誇っています。
同時に、旧陸軍師団幹部将校の写真、さまざまな兵器、出征兵士の武運長久を祈るのぼり旗、戦闘や占領地の写真・地図をはじめ戦前の第7師団の軍歴を示す数々の物品が所狭しと展示されているのには驚きました。戦前の旧軍隊とは本来きっぱり隔絶しているはずの自衛隊が、旧軍隊の海外での戦歴を得々と誇り、称揚しているのは納得できません。まるで靖国神社が、血道をあげている侵略戦争賛美と同質の異様な、危険なものを感じました。
今回のツアーは、大樹町で米軍の上陸に備えたトーチカ造成に徴用され、樺太に通信隊員として派兵され、ソ連に抑留された経験をもつ80歳の農民の話を聞いたり、日本が「満州事変」に突入した1年半後に拷問で虐殺された小林多喜二の墓に詣でたり、川瀬氾二さんに終戦前後の話をしてもらったり、節目の年にふさわしい思い出をつくりました。また、千歳・高嶋農場、大樹・養豚農家との交流、釧路湿原の川下り、川村カ子ト・アイヌ資料館、三浦綾子記念文学館、ニセコ・有島武郎記念館、旭川・旭山動物園見学なども印象深いものでした。
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