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「日米両政府による離島の軍事拠点化を許さず、憲法に基づき防衛大綱の廃止を沖縄から訴えることを目的に、「防衛大綱と自衛隊配備」をめぐる学習、自衛隊配備に反対して運動している人々との交流、軍化がねらわれている下地島の現地調査を内容とする連帯行動がとりくまれました。この連帯行動には大阪の4名(竹馬、北川、植田、上羽)を含め全国から14名、沖縄本島から14名計28名が参加しました。
9月2日(宮古島でのとりくみ)
●航空自衛隊の巨大レーダー基地(右上)や「慰安所」(その)を現地の案内で視察
●「下地島の軍事利用を許すな!学習交流集会」
(宮古マリーンターミナル2Fホール、午後7時〜)に参加
この集会参加者は全国14名、沖縄本島14名、宮古島・伊良部島50
人余の約80名。伊良部島からの参加者のために沖縄統一連は高速艇
をチャーターする力のいれようでした。
9月3日(下地島・石垣島でのとりくみ)
●自衛隊の常備が懸念される下地島空港を視察
沖縄県有地の下地島空港は現在、国内唯一のパイロットの離発着訓練所として民間利用されています。自衛隊は「災害救援拠点」と称して軍事利用をねらっています。
●「八重山への自衛隊配備を許さない学習交流集会」(石垣市健康福祉センター午後4時〜)に参加
この集会参加者は全国14名、沖縄本島14名、石垣市・竹富町・与那国町100人余の約130名。この集会の主催は、沖縄統一連、協賛が中央安保、後援は八重山地区労でしたが、連合傘下の八重山地区労議長の宮里さんが石垣島のとりくみを報告したことは、これまでになかったこととして注目されています。
学習交流集会での講演内容要旨
防衛庁は新「防衛計画の大綱」で南西諸島の最西端・与那国島に陸上自衛隊の沿岸監視部隊を新たに配置するとしている。この案を含め、那覇空港(自衛隊那覇航空基地)への戦闘機部隊1個飛行隊(約20機)配備や、移動警戒レーダーの島嶼(とうしょ)部への展開などの南西諸島への自衛隊増強計画は、「日本防衛」ではなくアメリカの中国封じ込め政策の片棒かつぎ。沖縄・先島住民と全国的な連帯の力で、馬毛島など九州、沖縄の「軍事要塞化」、先島への自衛隊配備計画を必ずはねかえそう。
9月5日早朝、先島行動を終えた大阪安保の4名は、東村高江でヘリパッド建設に反対して座り込みを続けている現地住民の会を訪問し、府高教と新婦人中央支部から寄せられた檄布2枚とヘリパッド建設反対署名310筆を渡し激励しました。
渡した署名には東大阪市在住者のものが多かったため(※)、それを見た住民の会 伊佐真次代表(写真の左端の人)は「長尾さんぜひ勝って欲しいですね」とこちらを励ましてくれました。
住民の粘り強いたたかいと全国からの署名などの支援で、首相と防衛大臣の交代劇もあり、9月より強行が心配されていた工事再開は許していません。
さらに大きな高江への支援を決意し4名は高江をあとにしました。
(※8月30日東大阪市アリーナでの長尾淳三市長候補勝利をめざす市民大集会で集めたためです)
9月8日 淀屋橋と大正区で宣伝
9月8日は、、サンフランシスコ条約と旧日米安保条約が調印(1951年9月8日)され、日本が「安保の鎖」にがっちり縛りつけられて、ちょうど60年という節目の日にあたります。
大阪安保はこの日,府下の団体から15名の参加をえて正午より丸1時間「この60年間、日本は、安保条約のくびきのもと21万件におよぶ在日米軍犯罪・事故とそれらによる日本人死者1088人という基地被害に苦しめられてきました」「世界の流れは軍事同盟解消に向かっています。安保条約をなくしていけば、アジアの平和、ひいては世界の平和に大きく貢献できます」などと道行く人々に6名の弁士が熱く語りかけました。
この後、大阪安保カーは、大正区に入り2ヵ所で宣伝行動とビラ配布をおこないました。
なお、この日3ヵ所の宣伝で配布したビラは700枚でした。
中央安保が企画した「先島自衛隊配備視察・交流」(9月2日から4日まで)に、大阪安保から竹馬、北川、上羽、植田の4名が参加しました。なお、私たちだけが東村・高江のヘリパッド建設反対の座り込み行動にも一泊追加して支援してきました。
9月2日(金) 台風が来ていて、実際フライトするのか心配でしたが、予定時間を遅れて神戸空港を飛びたちました。飛行機はかなり揺れながら、那覇空港に到着。乗り継ぎを急がれて、宮古島行きの飛行機に乗り継ぐ。私たちの乗った飛行機以降は台風のため欠航となり、運がよかったことを知ります。
宮古島に到着して、バスに乗り込み自衛隊のスパイ無線傍受施設を見学。中国方面に向けて、最近新規に建設されたという。沖縄戦のとき、日本陸軍の基地であった場所であり、その頃3万人の兵隊が常駐していたが、米軍の包囲網で兵量攻め状態になり、島民5万人と合わせて食料不足で飢餓とマラリアで死亡者が続出した歴史があります。
同時に、そのはずれに従軍慰安婦の墓碑がありました。日本軍が総力を挙げて沖縄戦をたたかいますが、悲惨な島民を含む状況はこの宮古島でも起こっていたことを知ります。
夜から、現地で学習交流集会が行われ、全国14名、沖縄本島14名、宮古島・伊良部島50名の80名でした。
9月3日(土) 朝から下地島に向けて、バスに乗ったまま、フェリー船に乗ります。下地島の飛行場は、端から端まで取った全長3000mの滑走路です。民間パイロットの訓練場所になっていますが、その日は一機も飛んできませんでした。ここも自衛隊が共有する案が浮上しているそうです。
宮古島に戻り、飛行機で石垣島へ。ちょっとの休憩後、午後4時からの集会会場まで1時間ぐらい歩きましたが、宮古と違って於茂登岳という山があるように、坂の多い石垣でした。吹田時代の藤井さん、横沢夫妻にも会い、交流してきました。与那国島の人たちも参加していて、現地での緊迫した状況が話されました。「私の親戚は、島を離れて愛知県に住んでいるが、土地を売る約束をして、基地の提供をしてしまった。住んでいない人へも反対の運動を知ってもらいたい。」など率直な意見が出されました。
また、つくる会系の育鵬社版中学校の「公民」教科書採択の動きや石垣市での自衛隊の陸・海・空一体の大々的な防災訓練など、いままで石垣市では革新系市長から保守になって、右傾化が進んでいて、2012年3月開港の新空港では、自衛隊の利用が危惧されているなど中身の濃い緊迫した交流会となりました。全国14名、沖縄本島14名、石垣市・与那国町など100名で約130名でした。
9月4日(日) 今日の午前中だけ自由時間、私たちは竹富島へ船で渡りました。水牛車に乗り、街並みをのんびりと見学しました。そのあと、歩いてコンドイビーチへ。180度の水平線が見渡せ、きれいで透き通るエメラルドグリーンの遠浅の海岸を眺めて、ゆっくり来たいなぁと思いながら帰ってきた。
午後の便で、那覇空港へ。那覇空港到着からレンタカーを借りて、高江のヘリパッド反対の座り込み場所へ。あたりは暗くなっていて、夜7時過ぎに到着。今晩会議があるそうで、それでは明日の朝ということで、借りている民家裏に建設されたプレハブ小屋へ。長期戦を意識して建設したそうで、蚕棚のベッドに8名が寝れます。私たちがこの場所を利用するのは始めての客ということらしい。(一泊1000円)みんな疲れていたのか、すぐ寝だす。会議が終わって、民家の食堂で一杯飲みをやっていました。選挙で知った伊佐真次さんもいたので、そこに参加して話しを聞いていました。青年がこの行動に参加しているのはいい。運動の進め方などで激論を交わしていたのには、わが青春と通じるものがあり、互いの真剣さのぶつかりを聞いていて、頼もしく思いました。東京から女子学生が一人参加していた。
9月5日(月) みんな朝早くからテント前で座り込みにあちこちから集まっていました。防衛施設庁が今年2月工事用の道路を急いでつくったが、もう道は風雨にさらされガタガタ。草もかなり生えていて、そう簡単に工事ができない状態になっています。入り口には、大型の社大党宣伝カー、社民党、統一連カーなど車でバリケードがされていました。ヤンバルの森を一望できる高台から眺めましたが、ブロッコリーの森といわれる緑の密集さはきれいなものです。こんな場所をヘリ基地ができて、オスプレイが飛び交うことは想像できないものです。
連帯行動に参加して
「安保中央」が呼びかけた「沖縄・先島へ自衛隊配備を許さない」連帯行動に参加しました。
沖縄本島では「米軍基地依存」が繁栄の障害になっているのに比べ、緑いっぱい豊かで美ら海に囲まれ米軍基地のない先島諸島の繁栄が話されています。その先島諸島に自衛隊配備増強が急を告げているのです。中国との国境の島・与那国島に自衛隊配備や、宮古市・下地島に航空自衛隊基地の誘致へと日米軍事同盟強化の策動が続いています。
「尖閣諸島問題」や中国の軍備増強を絶好の口実に、既に沖縄・宮古島に自衛隊配備増強は09年から。航空自衛隊宮古島分屯基地内に配備された「電波スパイ傍受」施設を連帯行動で調査しました。今年5月には防衛省大臣も同施設に足を運んでいます。
この施設は近代的なレーダー装置ですが、冷戦時代の遺物。24時間体制で中国に照準をあて諸情報を傍受する役割を果たしている「スパイ施設」です。総工費は70億円ですが、内容は一切内密90年の第一次湾岸戦争のときにも米軍が大いに「成果」を上げたと言われていました。平坦な宮古島の小高い丘の一角に突如、ホテルのようでダークグリーンの大きく異様な建物が「スパイ傍受」施設、説明を聞き背筋が寒くなる思いでした。
これに対し、現地「憲法9条の会」など宮古島や石垣島の平和勢力は「私たちは、国境に近い南西諸島に陸上自衛隊を配備することは、いたずらに緊張を激化させ、日米軍事共同作戦が強化され、先島諸島の平和と平穏な暮らしにとって反対せざるを得ません」とがんばっています。
私たちは宮古島、石垣島で二つの集会にも参加しました。この種の学習集会は久々と言われていましたが、自衛隊の配置の策動を許さない決意が交々表明されました。「基地は要らない」の粘り強い沖縄本島の闘いが引き継がれていることを強く感じました。
私たちは豊かな緑と美ら海に囲まれ自衛隊空軍基地誘致が画策されている下地島の現場も視察し、帰途は沖縄本島北部のやんばる高江へ馳せ参じ、ヘリパット建設反対で連日座り込みを続けてる現場で一泊の連帯激励訪問もしてきました。