大阪安保の平和ツアー�・基地調査などのとりくみ





 「日本を戦争する国に変える『米軍再編・日米軍事一体化』『教育基本法と憲法改悪』などの動きの中、平和に生きる権利を守りぬくため北の大地で闘う人々と、豊かな自然に会いに行こうと、この夏も、安保破棄大阪実行委員会は28回目の北海道平和ツアーを行った。参加者は大阪中心に広島、奈良、和歌山、東京、埼玉、千葉等から合計22人。広大な北海道への平和ツアーは毎回、軍事基地反対や農業・漁業・少数民族の権利を守り戦い続けている北の大地の人々と多方面に交流しています。今回も千歳、恵庭、島松、有明、西岡、真駒内に集中する道央基地群を車窓から説明を受け、芦別事件現場、富良野自衛隊演習場、世界遺産になった知床の羅臼、三浦綾子記念館、上川のアイスパピリオン、網走の少数民族資料館「ジャッカドフニ」、野呂栄太郎の碑、日高弾薬庫、千歳の高島農場など多方面で見学・交流を行ってきた。



 そして日本最大の軍事演習場(ほぼ大阪市の面積)道東の矢臼別へは毎回欠かさずに訪問している。矢臼別は地平線まで広がる丘陵が演習場、その真ん中に川瀬牧場(約16ヘクタール)がある。大きなD型ハウスの青い屋根に「自衛隊は憲法違反」の赤い字が目立つ。川瀬氾二さんは半世紀余前に、この地に入植し荒廃とした原野を切り開いてきたが、希望がもてないと、仲間は次々と出て行き、今は川瀬さん(80才)一人、慎ましい老齢年金で暮らしている。

 憲法改悪して「戦争する国」へ策動が迫る中、この数年間、政府は数億円の巨額を積んで川瀬を牧場から追い出そうとしている。演習場の真ん中で反戦・平和を唱えて頑張る川瀬さんが政府にとって脅威でもあろう。そんな川瀬氾二さんを訪れ大きな感動と勇気をもらってきた。


 川瀬さんは「終戦直後を思い出すんだ。みんな惨めだった。知り合いは駐留軍の残飯をあさって食べていた。たばこの吸い殻を拾って生活していた。一方で偉い人は毛布とか食糧とかの荷物をトラックに山積みで引き上げてきてね…。絶対に、あの道に戻ってはいけない」「今までは、戦争が嫌いで『よかった』って思った。50年で周りがかわった。気がついたら変わらないのは憲法とオレ。しょうがないね」と訥々とかたる老人・川瀬さんは普通の人である。肩に力が入ってないが、しかし頑固なまでにマイペース。川瀬さん流「時速4キロの人生」観が伝わってくる。それだけに激動の情勢がよく見えてくるのだろう。川瀬さんは、非暴力の抵抗こそ最大の平和の力として広大な演習場の真ん中に平和公園建設と、そこに温泉を発掘する構想を打ち上げた。大阪からも川瀬構想を支持し成就させるため力を出そう。(T・K)



写真提供:前田宏明さん

2005.2.18〜20

 安保破棄大阪実行委員会の呼びかけで「05年厳冬の矢臼別・流氷の旅」に2月18日から20日、大阪中心に広島、東京、千葉から23人が参加しました。

 2月のオホーツク海は、ロシアのアムール川からの流氷が北海道・知床半島に漂着する季節、文字通り海は氷一面、その向こうに雪を冠た国後島(北方領土)の山々も見える。

 私たちは羅臼港から地元町会議員・坂本さんの紹介で漁船をチャーターして流氷の合間を縫っての航行中、氷上に遠来の渡り鳥「オオワシ」群と巡り合わせることができた。羽を広げれば2氷上を飛ぶオオワシメートルになるシベリア大陸からの渡り鳥が流氷の上に百羽は居ただろう。その間をスケソウダラの漁船が行き交う海上で、世界自然遺産指定される動植物が手つかずの知床半島を体験する事ができた。

 好天に恵まれ一面銀世界(雪景色)の矢臼別・川瀬牧場に入って一番先に眼前に飛び込んできたのはでカマボコ屋根D型ハウス通称「矢臼別ホテル」の屋根一杯に書かれた日本国憲法前文と、もう一つのD型ハウス屋根の「自衛隊D型ハウス前で記念撮影は憲法違反」の文字でした。外見は小柄で穏やかな反戦地主・川瀬氾二さんの強靱な意志が、川瀬牧場に精一杯、表現されている印象を強く受けた。

 D型ハウス内で川瀬さんを囲んでジンギスカン昼食・懇談会は、朴訥で、飾り気のない語りぶり。厳冬の季節でも広大な北海道の原野で一人で闘っている「反戦地主」のイメージはなく、「普通に生きてきて気がついたらこんな事になっていた」等、語る川瀬さんの言葉は、はやる気持ちを沈めるかのごとくスーと私の心にしみこむ。「戦争する国」へ改憲論議が盛んになる情勢に、我が国最大の軍事演習場のなかで腰を据えて「平和公園」構想を語り、百歳まで生きながらえてでも「我が土地」を自衛隊には渡さないという川瀬さんの想いがズシリと伝わってきた。 (T・K)

川瀬氾二さん   川瀬さんを囲んでジンギスカン昼食・懇談




 2004年 北海道平和ツアー
 歴史と伝統ある楽しいツアー 知床半島 船で一周

ツアーレポート

(おもな行程) 大阪・東京〜新千歳空港〜旭川(イラク派兵の中心・第2師団、三浦綾子記念館)〜ホテル(温泉)泊
北海道平和ツアー1日目(18日)
 今朝、東京・大阪などから予定通り35名が無事、新千歳空港に到着し、旭川のホテル「花神楽」に泊まっています。途中自衛隊の演習場内を通りながら、現地の「旅システム」ガイド・内山さんから旭川市の悲劇(旧日本軍駐屯地の頃からの、203高地、ノモンハン、ガダルカナルなど歴史上多くの悲劇的な闘いには、ここ旭川の地から派兵させられ、殆ど戦死している。さらにイラクに最初に派遣された部隊も旭川の部隊と・・いうお話を聞きました。旭川市に入って第2師団駐屯地をバスで徐行しながら一巡し(写真)、無駄遣いの象徴である戦車や機関砲などを塀越しに見ました。
 また「母」「氷点」などで有名な森に囲まれた三浦綾子記念文学館を訪れ数々の作品とそれにまつわる歴史背景や考え方に接しました。夕食時、参加者の自己紹介を行い、それぞれが、平和ツアーへの思いや経験を語り合い、大変盛り上がり、明日からの旅に夢が広がりました。事務局ではニュース発行の感想文をつのり、川瀬さんへの寄せ書きをしてもらっています。




(主な行程)〜塩狩峠〜士別〜名寄(第2師団第3普通科連隊)〜下川〜興部〜紋別〜網走(北方少数民族ウィルタとの交流)〜ホテル(温泉)泊

北海道平和ツアー2日目
(19日)

 いかにも北海道らしい緑と色鮮やかな花壇にかこまれた丘と森の間にある三階建て木造の温泉宿の「森のゆ・花神楽」(東神楽町)を8時に出発。
 三浦綾子の作品「塩狩峠」の現場と、その主人公の長浜さんの殉職の碑をJR塩狩駅に訪ねる。その後、陸上自衛隊「名寄駐屯基地」のウオッチングする。青い兵舎群が並び多数の車両その間を作業服の隊員の動きを見ることが出来た。
 特に、1台3億円といわれる自走りゅう弾砲が10門も並び、レーダーやミサイル弾も発見。正門前には黄色ハンカチの幟が高々と掲げてあり、この駐屯基地からもイラクへ派兵している証を確認して「戦争する国」へ具体的な作業が進んでいることに怒りを覚えた。
 午後は、少数民族のウイルターの現状を「少数民族資料館」(網走)を訪ね少数民族ウイルター族を守る活動についてのお話を聞き、資料館を見学した。
 第二次世界大戦に少数民族は土民兵として駆り出され、その後。なんの保障もされなく放置されている。たたかうことをしないウイルター族存続の危機から守る活動を通じて「人間として生きていくうえの原点」を考えさられる。「戦争する国」へ暴走しようとしている今日、また新たな戦いの視点があることを痛感した。


(主な行程)〜ウトロ(知床5湖)〜ウトロ(知床5湖)〜羅臼(温泉)泊
北海道平和ツアー3日目(20日)

 北海道へくるか?台風情報を気にしながら網走「かに本陣」友愛荘を出発。雨模様の中、一路、知床・羅臼に向かう。台風は日本海を北上し、再び北海道へ接近する予報に予定の知床クルージングを断念。地元羅臼町議の坂本さんも案内に同乗してくださり観光バスも入らない相泊・セセキ温泉、そして知床五湖へ。今日は知床半島の鹿の群れに出会う一日でした。


(主な行程)〜塩狩峠〜士別〜名寄(第2師団第3普通科連隊)〜下川〜興部〜紋別〜網走(北方少数民族ウィルタとの交流)〜ホテル(温泉)泊
 望郷の森・展望台横に自衛隊レーダー基地があり、基地正門前のインターホンで竹馬が対話したところ「海を見ている」のが仕事という回答だった。


(主な行程)〜塩狩峠〜士別〜名寄(第2師団第3普通科連隊)〜下川〜興部〜紋別〜網走(北方少数民族ウィルタとの交流)〜ホテル(温泉)泊
 早めに「峰の湯」温泉宿に入り、夜は、このツアー初めてのカラオケで親交を深めた。


(主な行程)〜塩狩峠〜士別〜名寄(第2師団第3普通科連隊)〜下川〜興部〜紋別〜網走(北方少数民族ウィルタとの交流)〜ホテル(温泉)泊


(主な行程)羅泊〜標津〜野付半島(監視隊、ネイチャーセンター)〜中標津〜矢臼別演習場(川瀬氾二さんと交流)、簡易宿舎「矢臼別ホテル」泊

北海道平和ツアー4日目(21日)

 台風一過好天、羅臼港を漁船に分乗しクナシリ島を背に知床半島の景色を見、東端で降りて昼食、羅臼港へ引き返す。途中船頭の魚釣り。東に2重の鮮やかな虹を見ながら矢臼別ホテルへ。元気な川瀬さんと再会。100歳まで生きて、ここを平和公園にしたいという夢、桜の木はすでに準備中。夜は星降る中バーべキュー、キャンプファイヤで参加者は若返えり、心を通わした。



(主な行程)矢臼別〜釧路〜直別〜十勝太ロランC〜大樹町(酪農民交流、揚陸艦演習場)〜帯広〜温泉泊
北海道平和ツアー5日目(22日)

 早朝一部は、「演習場内にあるピリカ台まで片道約30分の走破(散歩)に成功。自衛隊の掛ける「敷地内立ち入り禁止」の看板に「軽犯罪法違反で罰せられます」「拘置、拘留されます」などと書き加えられイラク派兵以後きつくなっている様子が伺えた。
 大樹町酪農民片岡さんらと交流、牛糞処理の新技術開発にも取り組まれていた。大樹の浜では自衛隊上陸用舟艇の演習でのたたかいや考え方を元町会議員から聞いた。最後の夜は帯広の十勝ガーデンホテルで疲れた体を癒し、明日帰路に着く予定。


(主な行程)帯広〜日勝峠〜日高〜樹海ロード〜夕張〜恵庭(道央基地群)〜千歳・高嶋農場交流〜新千歳空港〜大阪・東京へ

北海道平和ツアー最終日(23日)

 このツアー初めて都会・帯広の宿となる。これまでは宿で一緒の夕食だったが、帯広では最後の夜は自由食。もちろん自前だが、それぞれ街に繰り出し、豚丼、炉端焼き、帯広屋台村で楽しむ。
 翌朝は、帯広の宿を発ち、段丘の広々とした畑を貫き日高峠から、晴れ渡った十勝平野を眺めなが一路、千歳の高島農場へと走る。高島農場は毎回、昼食のお世話になるところ。 農業委員五期努めておられる高島さん、高島夫人は大阪堺市の市職労時代に平和ツアーが縁で8/21 簡易宿舎「矢臼別ホテル」で川瀬さんと夕食交流会結ばれたとのこと。農場のD型ハウスには、蒸かしたジャガイモ、炭火焼きのトウキビ、カボチャの煮付け、海苔巻きおにぎり、しそジュース、豚汁、そしてスイカなど、いずれも高島農場産の新鮮な農作物で作られものばかり。
 今年は、添乗の内山さんの義理のお姉さんに当たる参議院議員の紙さん、旅システムの前会長の河野さん、桃代さん(高島夫人)、桃代さんのお母さん、そして地元の新婦人の女性二人で我々の受け入れ準備をして頂いた。いつも元気の高島さんの話、今年は農産物自給率の低下について日本農政の危機を強く訴えられた。
 昼食後、師団と北海道大演習上を結ぶ戦車道(一般道路舗装の五倍の厚さのコンクリート道)C経路を走り、北海道大演習場を一望できるコムカラ峠から道央基地群を望み説明を受ける。さらに千歳空港へ向かう途中、遡上している鮭を見るべく千歳川沿いの公園を訪ねているとき、頭上を千歳空港から頻繁に離発着するF15米軍機に遭遇。これまでにない激しい自衛隊の動きを経験。


 (K・T)
8月18日(水)〜23日(月)5泊6日
大阪発、東京発

主な行程
18日(水) 大阪・東京〜新千歳空港〜旭川(イラク派兵の中心・第2師団、三浦綾子記念館)〜ホテル(温泉)泊
19日(木) ホテル〜塩狩峠〜士別〜名寄(第2師団第3普通科連隊)〜下川〜興部〜紋別〜網走(北方少数民族ウィルタとの交流)〜ホテル(温泉)泊
20日(金) ホテル〜ウトロ(知床5湖)〜ウトロ〜貸切船で知床半島一周〜羅臼(温泉)泊
21日(土) 羅泊〜標津〜野付半島(監視隊、ネイチャーセンター)〜中標津〜矢臼別演習場(川瀬氾二さんと交流)、簡易宿舎「矢臼別ホテル」泊
22日(日) 矢臼別〜釧路〜直別〜十勝太ロランC〜大樹町(酪農民交流、揚陸艦演習場)〜帯広〜温泉泊
23日(月) 帯広〜日勝峠〜日高〜樹海ロード〜夕張〜恵庭(道央基地群)〜千歳・高嶋農場交流〜新千歳空港〜大阪・東京へ
主催/安保破棄・諸要求貫徹大阪実行委員会
    〒543 大阪市天王寺区玉造元町17−22 TEL06−6763−3833
                                 FAX06−6763−3836
2月のオホーツク海は、ロシアのアムール川からの流氷が北海道・知床半島に漂着する季節、文字通り海は氷一面、その向こうに雪を冠た国後島(北方領土)の山々も見える。
2004年 8月18日(水)〜23日(月)
第26回北海道平和ツアー 

 楠田 るみ

 念願の「アンポの北海道ツアー」にやっと参加することができました。聞いていたとおり、大変充実した中身でありながら、肩がこらない家族的な雰囲気の楽しいツアーでした。毎日配られるニュース、これが又すごい!参加者の心を繋いでくれました。
 3日目予定の知床半島1周が台風でどうなるかと気をもませましたが、さっさと去ってくれて、台風一過の国後島がくっきり。1日遅れの漁船でのクルーズは知床半島の先端でおにぎりと三平汁を食べさせていただけるおまけ付き。たぶん2度と経験できないことでしょう。
 私は、北海道は3度目でしたが、今回は内山さんや、竹馬さんの案内のおかげでバスの窓から見える広大な北海道の大地のあちこちに監視塔やレーダーが置かれ、弾薬庫が隠されていることを知りました。また、少数民族のウィルタの存在と闘いを知りました。日本軍国主義が、自然の中で平和に暮らしていた人びとを非情に死に追いやり、古里を奪い、そして何よりも許せないのは未だに謝罪も補償もしていないことです。弦巻先生たちの努力で日本政府が何もしな
い中、「静眠」の碑を建立されたことを知り感動しました。
 この旅の一番の目的は、矢臼別演習場で頑張っておられる川瀬さんにお会いすることでした。川瀬さんという人物は、北海道の寒さに耐え、木を切り開き馬を飼い、そして自衛隊の基地反対を1人になっても貫いている・・それだけを聞けばどんな豪傑かと想像していましたが、現れたのは以外や以外、小柄な普通のやさしそうなおじさんでした。雄弁に武勇伝を語るでもなく、恥ずかしそうに挨拶された川瀬さんのどこに闘志が隠されているのでしょうか?「ぐずで怠け者で、ぐうたらで、中途半端な人間だから…」と笑って自分を紹介されていましたが、何の何の、100歳まで生きて、この大阪市ほどの広さの矢臼別演習場を平和公園にしてしまおうという、大ロマンをぶち上げるとんでもないおじさんの夢に思わず感動してしまいました。キャンプファイヤーを楽しんだ後、私はプラネタリウムのような星空に飽くこともなく夜中の2時頃まで火を囲んでいました。眠るのがもったいないような夜でした。
 宿泊場を出たところには、「立入禁止、違反した者は軽犯罪法により逮捕する」との看板が立てられていました。有事法制が成立した今年6月頃に立てられたそうです。私たちは演習場の中にあるピリカ台をめざして翌朝4時半に宿泊所を出発しました。無事にピリカ台に立てるかどうか、自衛隊員に出くわさないかと少々サバイバル気分を味わいながらも、私たちは途中で蝦夷シカに出会ったり、豊富な雑木林の中を楽しみながら30分ほど歩いて無事にピリカ台に到着、360度の見晴らしを満喫することができました。「自衛隊は憲法違反だ」という川瀬さんの声がさわやかな風にのって聞こえたような気がしました。帰りには何と自衛隊員3人がジープでかけつけ私たちに尋問(?)。でも、お気の毒様。私たちの目にしっかり矢臼別演習場を焼き付けた後でした。
 大樹町の「夢いっぱい牧場」では美味しい焼き肉を頂き、安心安全の食を求めて頑張っておられる片岡さんの熱意に打たれ、高嶋農場ではおいしいトウモロコシやジャガイモを頂きながら、日本政府の農政がいかに農民を苦しめているかのお話を伺い、「安保」が農業の未来を奪っていると思いました。
 そう、忘れてはなりません。三浦綾子記念館にも行き、塩狩峠では車から降り、三浦綾子の原風景に触れさせて頂きました。
 西浦さんという笑顔美人に案内して頂いて大樹町の海上演習の実態も伺いました。魚釣りを楽しんでおられる家族連れもいて平和を絵に描いたような海岸風景でしたが、戦車で砂埃舞う演習を想像するだけで怒りがわいてきます。
 砂金取りの体験もできました。ソフトクリームもみなさんよく食べていましたね。宴会では、ひょんなことから八鹿高校事件のことを詳しく聞きたいという若者からの質問に答えて、鈴木さんが巷談調で当時の「くやしい」体験を語ってくれました。20代の参加者にとっては、まるで時代劇のようなドラマティックな事件に思えたのではないでしょうか?
最後の日、千歳公園でのこと。「サケがいる、いる」とみんなで千歳川をのぞき込んでいる時、ゴーという音が・・見上げると、不気味な自衛隊機が偉そうに飛んでいく、又来た、又や…思わず「こんなもん、いらんわい!」と叫んでやりました。
  (K・R)

私たちは羅臼港から地元町会議員・坂本さんの紹介で漁船をチャーターして流氷の合間を縫っての航行中、氷上に遠来の渡り鳥「オオワシ」群と巡り合わせることができた。羽を広げれば2メートルになるシベリア大陸からの渡り鳥が流氷の上に百羽は居ただろう。その間をスケソウダラの漁船が行き交う海上で、世界自然遺産指定される動植物が手つかずの知床半島を体験する事ができた。
2002年 8月17日(土)〜23日(金)
「第24回北海道平和ツアーに参加して


  牧野陽子(貝塚市)

 9年ぶりに参加した北海道平和ツアー。あの何とも言えない暖かさと、一体感のあるツアーの余韻が今もじんわりと残っています。
 天候にはあまの恵まれなかったけれど、それさえも、あの過酷な自然の中で頑張って闘ってこられた人達のことを推し測る一助と思うと苦にはならず、強い雨風の時また一瞬雨が止んだ時など、海辺の小屋の向こう側から森の木々の陰から、その人達の姿がふっと浮かんで来て息づかいが聞こえたような気がすることがありました。何年にも亘る先人の血のにじむよう闘い、そんな不屈の闘いが脈々と受け継がれているということが、各地での交流を通じて感じられました。宗谷教組の若い先生達のキラキラ輝いた目、日本の最北の地で子ども達のためにあんなに心を燃やして頑張っている先生達や街の人達に励まされ、子ども達がどうか生き生きと逞しく育って欲しいと思いました。
 千歳、猿払、根室のどの地でも夫々の地で頑張っておられる姿に胸が熱くなりました。また、何としてもお会いしたいと思っていた矢臼別の川瀬さん。あんなに小さな体で柔和な方が、どんな脅かしにも屈せず広大な原野の真っ只中でたった一人で淡々と生きておられるそのすごさ。川瀬さんの存在そのものが、憲法9条の”平和のうちに生きる権利”を体現されている。私達は矢臼別の原野には住んでいなくても、川瀬三斗同じように、一人一人が憲法を遵守し平和のうちに生きる権利を守るために全力で闘わなければいけないということを改めて感じました。<BR>
 ウィルタの北川アイ子さんや、ゲンダーヌさんのことも初めて知りました。”何と多くのことを知らないで今まできたのだろう”ということを感じた旅でもありました。また、平和に生きたい、平和を守りたいと希う仲間であるからこそ、参加者のどの方々からもすばらしい笑顔と熱い心をいただいた旅でもありました。来年も仲間を誘って絶対参加しよう思っています。
 
 好天に恵まれ一面銀世界(雪景色)の矢臼別・川瀬牧場に入って一番先に眼前に飛び込んできたのはでカマボコ屋根D型ハウス通称「矢臼別ホテル」の屋根一杯に書かれた日本国憲法前文と、もう一つのD型ハウス屋根の「自衛隊は憲法違反」の文字でした。外見は小柄で穏やかな反戦地主・川瀬氾二さんの強靱な意志が、川瀬牧場に精一杯、表現されている印象を強く受けた。

米山利男(所沢市)

 北海道平和ツアーに初めて参加させていただき、未だ感動の余韻心に響いています。企画担当された竹馬さん、世話人の皆さん、旅システムの内山さん、河野さん、また、1400キロ近く無事故運転に集中された成沢さん、友岡さん、心からお礼申し上げます。また、バス発車直後から定期発行したニュース、まったく驚きです。担当された方々に深く感謝致します。私も北海道の旅は五回になりますが、今回のツアー程中味が濃く広く充実した旅はありません。一日一日の検分が楽しく学び、時には感動と怒りと深い悲しみに涙を流す事も多々ありました。私にとって素晴らしい野外体験学習でした。来年も機会に恵まれたら参加を心から希っていますが、二十五回ツアーですので、もう少し目的地を限定し、地元の人々と時間を取った交竜がしたいですね。高島さん、多くの人々に支えられながら孤軍奮闘する川瀬さん、BSE(狂牛病)でゆれる酪農家の苦労話、宗谷教組の子供達への思いやら聞きたい事が多くありました。所沢に帰りました翌々日の二十五日、原水禁世界大会の代表を囲む、報告と平和を語る集いが開催されました。私も少し時間をいただき、北海道平和ツアーの感想を語りました。そして北海道平和ツアーへの参加、個人・家族旅行でも是非、矢臼別や根室に足を向けて欲しいとアピールしました。最後に山が好きな私にとって利尻富士と対面出来なかった事が悔やまれました。

 D型ハウス内で川瀬さんを囲んでジンギスカン昼食・懇談会は、朴訥で、飾り気のない語りぶり。厳冬の季節でも広大な北海道の原野で一人で闘っている「反戦地主」のイメージはなく、「普通に生きてきて気がついたらこんな事になっていた」等、語る川瀬さんの言葉は、はやる気持ちを沈めるかのごとくスーと私の心にしみこむ。「戦争する国」へ改憲論議が盛んになる情勢に、我が国最大の軍事演習場のなかで腰を据えて「平和公園」構想を語り、百歳まで生きながらえてでも「我が土地」を自衛隊には渡さないという川瀬さんの想いがズシリと伝わってきた。 
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