冬の矢臼別と流氷ツアーに20余人 2・18〜20
大阪安保は10余年前の93年と94年(いずれも2/11〜14)に「冬の矢臼別・流氷の旅」をおこない、1回目は14人、2回目は20人が参加、たいへん好評でした。
昨年夏の北海道平和ツアー参加者の中から、冬の旅もぜひ!という声が寄せられ、久しぶりに計画しました。
18日(金)午後関空出発、女満別空港から羅臼に入り、釣り船で流氷見学。矢臼別の川瀬さんを訪問・交流、屈斜路湖、美幌峠から網走に入り、最終日には能取岬を経て網走湖でワカサギ釣りを楽しんだ後、夕刻便で帰阪の予定。
中央区など大阪から18人、東京・広島からも4人が参加します。
2月1日から帰島始まった三宅島・・
佐々木美代子著『みやけの心』好評普及中!
三宅島で民宿を経営、00年9月の「全島退避」で東京の台東区で避難生活を送っている佐々木美代子さんから、大阪安保に最近刊行された本が送られてきました。
NLP基地建設に反対する三宅島のたたかいを「赤旗」に「三宅島通信」(86・5・24〜87・1・29)、「続・三宅島通信」(87・7・29〜90・2・14)として、また避難生活の日々を「美代子さんのひとり言」(00・12・24〜04・3・24)として投稿、掲載された文章などをまとめて、昨年12月20日に発行されたもの。 83年10月3日の20年ぶりの大噴火で大きな被害の出た三宅島に、政府が米空母艦載機のNLP(夜間離着陸)訓練基地を押し付けようとしたのはその直後、12月21日には村議会が村民にはからず「官民共用空港誘致決議」を多数で採択、ここから島民のたたかいが始まりました。 基地建設のための気象観測柱設置のため機動隊など500人が、スクラムを組んで座り込む島民に襲いかかり、殴る蹴るの暴行を加えて多数の負傷者を出した「87・9・1」の暴挙などを乗り越え、島民の団結の力で基地を許さず、緑の島を守り抜いてきました。 大阪実行委員会は、三宅島のたたかいを支援するため、86年3月21日〜24日(強風雨のため予定より帰阪が1日遅延)に初めての「三宅島調査交流団」(菅原藤子団長)を派遣しました。86年2回、87年4回、88年3回、その後も94年まで計14回の調査交流団を派遣(大阪から延べ約300人以上が参加)しました。また86年の10・21大阪集会には、「三宅島NLP空港建設に反対する会」の三浦次男会長(当時・88年5月逝去)ら4人の代表を招くなど、一貫して三宅島のたたかいを激励し、連帯してきました。
00年6月の大噴火と有毒ガスで9月に全島民に避難指示が出され、以来4年半近く、東京都内など本土各地での不自由な避難生活を強いられてきましたが、やっと今年2月1日から帰島が許されることになりました。 高濃度の火山ガスが今も噴出しているため、居住禁止や立ち入り制限地域があり、島内ではガスマスク必携が義務付けられるなど、多くの困難と不安に直面しながら、ふるさとの島に帰った島民は復旧・復興と生活再建をめざす新たなたたかいに立ち向かおうとしています。 大阪実行委員会は、民宿の再開など、現地の日常生活が軌道に戻った時期に11年ぶりの三宅島激励交流団を送りたいと考えています。
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