2009.6.2 396号
さあ「6・23集会」の成功へ全力あげよう!


4000枚のポスター、14万枚のビラ、一気に活用して
 

 4月8日(第4回)と5月13日(第5回)の常任幹事会の論議を経て、大阪実行委員会は、ことしも「安保廃棄6・23大阪集会」の開催を意気高くよびかけることを確認、準備に入っています。


 5月25日に作成した告知ポスター(4000枚)とビラ(14万枚)の大半は、26・27日の両日、事務局が50余団体を訪問して届け、一部は宅配便・メール便で送りました。また日頃はあまりお付き合いのない約70団体にも宣伝資材を送り「支持・賛同」をよびかけました。

 
 来年の「6・23」は現行安保50年の節目。世界の流れに逆行し、アメリカ言いなりの日米同盟・安保体制の害悪が政治・外交・軍事面だけでなく、経済や国民生活の各方面に眼に見えるかたちであらわになっているもとで、来るべき総選挙で自公政権の悪政に痛打をくわえる意味でも、ことしの「6・23集会」を大きく成功させることが求められています。


 GMの破綻に見られるように未曾有の金融・経済危機が世界中を襲い、震源地のアメリカ以上に景気の落ち込みが激しい日本。これはアメリカが毎年要求してくる「年次改革要望書」の通りに日本が受け入れ、「郵政民営化」も「労働者派遣事業の自由化」も強行されたことが、いまの深刻な事態をつくり出しています。


 各分野・団体が掲げている課題・要求と日米安保の関わりをそれぞれの立場から明らかにし、グアム新基地建設費用の巨額の負担や「思いやり予算」など軍事費問題とも関連づけて、「安保廃棄」を前面に掲げた「6・23集会」への総結集を広く呼びかけましょう。

◆第31回(青森)・北海道平和ツアーは7/28〜8/2の予定


◆「4・28畑田さん講演パンフ」を発行 B5版24頁 1部200円

 3団体では、講演内容を各団体・地域の幹部・活動家をはじめ多くの方々に広げたいと、パンフレットにまとめ、発行しました。

 「海賊」派兵法案、参院で審議入り、
  悪法の強行成立ねらい、国会会期55日延長

 「海賊対処」を口実に護衛艦2隻やP3C対潜哨戒機、輸送機など陸海空自衛隊がソマリア沖や隣国ジプチに派兵され、これを「合法化」するとともに海外派兵恒久法に道を開く「海賊対処新法」の参院での審議が5月27日からはじまりました。自民公明はこれらの成を狙って、6月3までの会期を7月28日まで大幅に延長しました。

 参院外交防衛委員会(委員長・榛葉賀津也=民主)への抗議・要請の集中が急務です。
 榛葉委員長 (FAX・03・5512・2790)

横須賀市長選・呉東さんに激励とカンパを!

米原子力空母ジョージ・ワシントンが居座る横須賀で市長選挙がたたかわれています。告示は6月21日、投票は28日です。

 原子力空母の配備に反対し、住民投票を求める住民運動から生まれた市長候補・呉東正彦さんを先頭に現地の平和民主勢力が全力でたたかっています。大阪からも激励の寄せ書きや「市長選カンパ」を送りましょう。


送り先 〒238-0004 横須賀市小川町19 小川町ビル2F  市民みんなの力で市政をつくる会 

カンパ送付先 郵便振替口座00270-7-132970

       原子力空母阻止・三浦半島連絡会

ソマリア沖自衛隊派兵に関心高まる 5・22宣伝 

5月22日に繰り上げた毎月の「安保廃棄23日行動」(正午、市役所前)には大阪労連・大教組・共産党・民医連・AALA・国民救援会・中央区安保などから11人が参加、途中で雨がきつくなり約40分で切り上げましたが、ソマリア派兵反対を訴えたビラの受け取りはよく、300枚以上が市民の手に渡りました。中央区や岸和田実行委員会も「安保廃棄23日行動」を継続しています。

「安保50年」を問う4・28講演会に140人
  
参加者に深い感銘・・畑田重夫さんの講演

 安保破棄大阪実行委員会と大阪府AALA連帯委員会、大阪平和委員会は4月28日、国際政治学者・畑田重夫先生を講師にお迎えして『いま「安保50年を問う」4・28講演会』を開催しました。 「4・28」はいうまでもなく旧日米安保条約が1952年に発効し、日本が「安保体制」に組み込まれた日。

 そして来年、2010年は現行日米安保条約が発効して50年という「節目の年」です。

 畑田先生は、世界的な未曾有の金融・経済危機、オバマ米大統領の登場など、新たな局面を迎えた国内外の情勢の特徴と安保問題の基本、また世界の大きな流れに逆行し、自衛隊の海外派兵の拡大や日米軍事一体化、憲法改悪への道を突き進もうとしている自公政権の暴走について、事実にもとづいてわかり易く解明され、「諸悪の根源・日米安保50年」に向けてのたたかいの展望を力強く訴えられました。

 85歳という高齢にもかかわらず、「節目の時」には「節目」にふさわしいたたかいを、と格調高く、情熱を込めて訴えられたこの日の講演はすべての参加者に深い確信と感銘を与えるものとなりました。

北朝鮮による地下核実験に怒りを込めて抗議する

  国連決議1718や6カ国協議共同声明を真っ向から踏みにじ る北朝鮮の核実験に厳重に抗議する。

  「核兵器のない世界の実現」を表明したオバマ米大統領の声明 をひとつの契機として核兵器廃絶に向けた新たな動きが内外でひ ろがっているもとで、今回の核実験強行は世界の諸国民、とりわ け唯一の被爆国・日本の国民に対する許しがたい暴挙である。

 北朝鮮は世界の世論に耳を傾け、核開発政策を放棄し、6カ国 協議に復帰すべきである。

 
 2009年5月28日
  安保破棄・諸要求貫徹大阪実行委員会

矢臼別「川瀬氾二さんを送る会」に参加して  

 4月20日朝、矢臼別から川瀬さんの訃報が届きました。大阪実行委員会は大阪はじめこれまでの北海道ツアー参加者約100人に訃報を転送、多くの方から電話やFAXでその衝撃と痛恨の思いや哀悼の言葉が寄せられました。

 川瀬さんは、昨年10月7日、くも膜下出血のため緊急手術、30日病状悪化の知らせを受け、31日から11月3日にかけて、竹馬事務局長と北川・中央区事務局長が釧路の病院を2回訪ねて見舞いましたがまったく反応なし。発病の報に接し、数十人のツアー参加者によびかけて寄せられた20余万円の見舞金を矢臼別平和委員会の吉野宣和さんにことづけてきました。

 5月16日、矢臼別・川瀬牧場D型ハウスで「川瀬氾二さんを送る会」が同実行委員会主催で行なわれ、竹馬事務局長が参加しました。


《報告メモ》

 15日(金)空路、10時45分千歳空港着。Tさん(千葉・平和ツアーに毎年参加)と内山博さん(旅システム)と合流。JR千歳空港駅から夕張・トマム・新得・帯広・池田を経て、夕刻釧路着。

 16日(土)早朝からレンタカーで一路矢臼別へ、9時30分頃着。

 「会」の始まる前、牛2頭の世話をしていた渡辺佐知子さん(矢臼別「平和の家」に居住、川瀬さん入院後、実娘・関畑三九子さんの勧めで昨年末から留守宅の管理を兼ねて川瀬さん宅に移った)にあいさつ。渡辺さんの案内で川瀬宅の2階にあがりました。

 玄関口にも階段にも、昔、川瀬さんに送った大阪安保作成のポスターが数枚、そのまま掲示されていました。窓の近くには、瀬長亀次郎さんと東中光雄衆院議員=当時の、いずれも達筆の色紙が掛けられていました。また、94年の2回目の「流氷ツアー」で川瀬夫妻を招待し、オホーツク・北浜海岸でのお二人の写真も踊り場にあり、大阪城のきりえや色紙の額も2、3掲示され、川瀬さんの大阪への思いの深さを改めて感じました。

 三九子さんに挨拶し、持参した川瀬さんの色紙1点を贈りました。04年のツアーの際、川瀬さんに色紙の揮毫をお願いし、2〜3年間に約70枚ほど書いていただき、各方面に普及、売り上げの半額を川瀬さんの生活費の一部にと送金してきました。また、05年「色紙写真集」を2000発行、矢臼別周辺と道内、大阪、全国各地にも普及してきた経緯を説明しました。実は色紙は川瀬宅にも遺族にも残っていないということでこの日、三九子さんに贈ったわけです。
 「送る会」は、11時〜2時半過ぎまで、「矢臼別ホテル」1階を一杯にし、入り口前の臨時テントも埋めて・・。奥正面に「祭壇」、遺影の前に供花、各自が自由に献花。


*参加者に配られた印刷物には、「送る会」次第、川瀬さんの略歴、06年7月3日の「自衛隊イラク派兵差止訴訟」での川瀬さんの意見陳述書全文、寄せられた弔電・メッセージ(大阪実行委員会の送ったものも含む)、07年1月1日付けの川瀬さん手書きの「お別れに当たって(遺書)」など。


*会は、三宅信一・元釧路教育大教授、石田明義・北海道平和委員会理事長、矢臼別住人・浦舟三郎さんの弔辞と「弔電・メッセージ紹介」の後、予定外で、日本平和委員会代表理事・畑田重夫さんと日本共産党・紙智子参院議員がそれぞれ挨拶・弔辞を述べられました。


*地元新婦人の会員などによる手作り料理で会食、懇談の後、「思い出を語る」として、札幌在住の福原正和医師、川瀬さんの留守宅を守ってきた渡辺佐知子さん、1962年以来川瀬さんとともにたたかってきた元別海町議・上出五郎さんがエピソードなどを紹介し、故人を偲びました。

 弔辞や「思い出」の中では、権力には一歩も引かずに立ち向かう一方、温和で飾り気のない、ユーモアもたっぷり、誰にも好かれた川瀬さんの人柄が語られました。「川瀬さんが放った光は消えたり衰えたりしない」、「千の風になって大空を吹き渡る、のではなく、この矢臼の大地に居り続ける・・」などなど。


*特に、名古屋高裁判決でも確認された「平和に生きる権利」を、身をもって守り貫き通した川瀬さんのたたかいの意義がこもごも 語られました。


*「帯広民族芸能を守る会」などのメンバーによる歌・演奏・朗読の後、最後に関畑三九子さんが「遺族あいさつ」で、「父母が生き、たたかい、そして眠っているこの土地を自衛隊に渡すことはできない。管理を矢臼別平和委員会に委ねる」とキッパリ。


*これまで部屋の壁一面に何年も貼られていた寄書きなどはきれいに取り外され、選び抜かれたと思われる数枚の寄書き旗と約30枚ほどの写真(B4大)などが掲げられていました。 

  その中に、96年の第18回ツアーの時の『米軍くるながんばれ!矢臼別』と、93年に続いて94年、2回目の「流氷ツアー」の時の寄書き『終戦50年にむけて/基地と安保に立ち向かうたたかいの 新たな高揚を/うららかな春はきびしい冬のあとから来る』、また一昨年の交流の際、稲木佐和子さん(東京)から川瀬さん・吉野夫人・竹馬事務局長に「9条はっぴ」が贈られ、並んで披露し た時の写真なども。また昨年12月29日の「平和餅つき大会」の際、「08年矢臼別十大ニュース」の第6番目に挙げられた『30回目のツアー大阪安保』のイラストもありました。


*大阪安保が発行した「川瀬さん色紙写真集」にあらためて関心が寄せられていました。矢臼別のたたかいが始まった60年代初頭以来川瀬さんの友人であった三宅信一さんが、この『写真集』に触れ、その中の「この世になにしに来た?遊びに来た!」を紹介されたり、畑田先生も挨拶の中でこの写真集のことに触れられました。

 会食の時、上出五郎さん、佐藤博文さん、石田弁護士とも色紙と写真集のことで話が弾み、7月に札幌でもたれる「偲ぶ会」で、手元にある十数枚の色紙を普及することも話し合われました。


*さらに、驚いたことは「矢臼別ホテル」の入口近くに昨年の30回ツアーの記念に植樹をした千島桜が咲いていたこと。まだ1年も経たず、やっと2mそこそこのか細い樹が花を咲かせていたことです。

 17日(日)朝、養老牛温泉を出発、JRで千歳空港へ、17時40分発の便で伊丹空港に帰着。

(竹馬 稔)

安保破棄・諸要求貫徹大阪実行委員会
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