矢臼別「川瀬氾二さんを送る会」に参加して
4月20日朝、矢臼別から川瀬さんの訃報が届きました。大阪実行委員会は大阪はじめこれまでの北海道ツアー参加者約100人に訃報を転送、多くの方から電話やFAXでその衝撃と痛恨の思いや哀悼の言葉が寄せられました。
川瀬さんは、昨年10月7日、くも膜下出血のため緊急手術、30日病状悪化の知らせを受け、31日から11月3日にかけて、竹馬事務局長と北川・中央区事務局長が釧路の病院を2回訪ねて見舞いましたがまったく反応なし。発病の報に接し、数十人のツアー参加者によびかけて寄せられた20余万円の見舞金を矢臼別平和委員会の吉野宣和さんにことづけてきました。
5月16日、矢臼別・川瀬牧場D型ハウスで「川瀬氾二さんを送る会」が同実行委員会主催で行なわれ、竹馬事務局長が参加しました。
《報告メモ》
15日(金)空路、10時45分千歳空港着。Tさん(千葉・平和ツアーに毎年参加)と内山博さん(旅システム)と合流。JR千歳空港駅から夕張・トマム・新得・帯広・池田を経て、夕刻釧路着。
16日(土)早朝からレンタカーで一路矢臼別へ、9時30分頃着。
「会」の始まる前、牛2頭の世話をしていた渡辺佐知子さん(矢臼別「平和の家」に居住、川瀬さん入院後、実娘・関畑三九子さんの勧めで昨年末から留守宅の管理を兼ねて川瀬さん宅に移った)にあいさつ。渡辺さんの案内で川瀬宅の2階にあがりました。
玄関口にも階段にも、昔、川瀬さんに送った大阪安保作成のポスターが数枚、そのまま掲示されていました。窓の近くには、瀬長亀次郎さんと東中光雄衆院議員=当時の、いずれも達筆の色紙が掛けられていました。また、94年の2回目の「流氷ツアー」で川瀬夫妻を招待し、オホーツク・北浜海岸でのお二人の写真も踊り場にあり、大阪城のきりえや色紙の額も2、3掲示され、川瀬さんの大阪への思いの深さを改めて感じました。
三九子さんに挨拶し、持参した川瀬さんの色紙1点を贈りました。04年のツアーの際、川瀬さんに色紙の揮毫をお願いし、2〜3年間に約70枚ほど書いていただき、各方面に普及、売り上げの半額を川瀬さんの生活費の一部にと送金してきました。また、05年「色紙写真集」を2000発行、矢臼別周辺と道内、大阪、全国各地にも普及してきた経緯を説明しました。実は色紙は川瀬宅にも遺族にも残っていないということでこの日、三九子さんに贈ったわけです。
「送る会」は、11時〜2時半過ぎまで、「矢臼別ホテル」1階を一杯にし、入り口前の臨時テントも埋めて・・。奥正面に「祭壇」、遺影の前に供花、各自が自由に献花。
*参加者に配られた印刷物には、「送る会」次第、川瀬さんの略歴、06年7月3日の「自衛隊イラク派兵差止訴訟」での川瀬さんの意見陳述書全文、寄せられた弔電・メッセージ(大阪実行委員会の送ったものも含む)、07年1月1日付けの川瀬さん手書きの「お別れに当たって(遺書)」など。
*会は、三宅信一・元釧路教育大教授、石田明義・北海道平和委員会理事長、矢臼別住人・浦舟三郎さんの弔辞と「弔電・メッセージ紹介」の後、予定外で、日本平和委員会代表理事・畑田重夫さんと日本共産党・紙智子参院議員がそれぞれ挨拶・弔辞を述べられました。
*地元新婦人の会員などによる手作り料理で会食、懇談の後、「思い出を語る」として、札幌在住の福原正和医師、川瀬さんの留守宅を守ってきた渡辺佐知子さん、1962年以来川瀬さんとともにたたかってきた元別海町議・上出五郎さんがエピソードなどを紹介し、故人を偲びました。
弔辞や「思い出」の中では、権力には一歩も引かずに立ち向かう一方、温和で飾り気のない、ユーモアもたっぷり、誰にも好かれた川瀬さんの人柄が語られました。「川瀬さんが放った光は消えたり衰えたりしない」、「千の風になって大空を吹き渡る、のではなく、この矢臼の大地に居り続ける・・」などなど。
*特に、名古屋高裁判決でも確認された「平和に生きる権利」を、身をもって守り貫き通した川瀬さんのたたかいの意義がこもごも 語られました。
*「帯広民族芸能を守る会」などのメンバーによる歌・演奏・朗読の後、最後に関畑三九子さんが「遺族あいさつ」で、「父母が生き、たたかい、そして眠っているこの土地を自衛隊に渡すことはできない。管理を矢臼別平和委員会に委ねる」とキッパリ。
*これまで部屋の壁一面に何年も貼られていた寄書きなどはきれいに取り外され、選び抜かれたと思われる数枚の寄書き旗と約30枚ほどの写真(B4大)などが掲げられていました。
その中に、96年の第18回ツアーの時の『米軍くるながんばれ!矢臼別』と、93年に続いて94年、2回目の「流氷ツアー」の時の寄書き『終戦50年にむけて/基地と安保に立ち向かうたたかいの 新たな高揚を/うららかな春はきびしい冬のあとから来る』、また一昨年の交流の際、稲木佐和子さん(東京)から川瀬さん・吉野夫人・竹馬事務局長に「9条はっぴ」が贈られ、並んで披露し た時の写真なども。また昨年12月29日の「平和餅つき大会」の際、「08年矢臼別十大ニュース」の第6番目に挙げられた『30回目のツアー大阪安保』のイラストもありました。
*大阪安保が発行した「川瀬さん色紙写真集」にあらためて関心が寄せられていました。矢臼別のたたかいが始まった60年代初頭以来川瀬さんの友人であった三宅信一さんが、この『写真集』に触れ、その中の「この世になにしに来た?遊びに来た!」を紹介されたり、畑田先生も挨拶の中でこの写真集のことに触れられました。
会食の時、上出五郎さん、佐藤博文さん、石田弁護士とも色紙と写真集のことで話が弾み、7月に札幌でもたれる「偲ぶ会」で、手元にある十数枚の色紙を普及することも話し合われました。
*さらに、驚いたことは「矢臼別ホテル」の入口近くに昨年の30回ツアーの記念に植樹をした千島桜が咲いていたこと。まだ1年も経たず、やっと2mそこそこのか細い樹が花を咲かせていたことです。
17日(日)朝、養老牛温泉を出発、JRで千歳空港へ、17時40分発の便で伊丹空港に帰着。
|