《平和のとりくみ・報告ご紹介》 |
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上記「4.25沖縄県民大会、基地視察・調査」の関西代表団の写真は マウス・クリックで印刷可能な容量のダウン・ロードができます。 |
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関西基地めぐり報告 08・5・31〜6・1 大阪府AALA連帯委員会 吉瀬孝子 近畿の4府県(滋賀・京都・大阪・兵庫)の安保実行委員会が共同してとりくんだ「関西基地めぐり」には約50人(舞鶴交流会には現地からも含めて約60人)が参加。京都からのバスに大阪駅前で乗り込み、神戸にむけて出発。 ◆非核「神戸方式」の碑「みみちゃん」を見学。 1975年3月18日、神戸市議会が全会一致で「核兵器積載艦艇の神戸港入港拒否に関する決議」を採択。市会決議30周年の2005年11月から、市民の手で記念碑建立の募金運動が起こり、07年3月落成した。碑の彫刻は廣島照道さんが作成、作品のテーマは「海(母なる海から平和のメッセージを聞く少女)」です。 当初メリケンパークへの設置を市に申し入れていたが拒否され、神戸華僑歴史博物館前の敷地内に設置されています。この碑の台座には日本語、英語、中国語、ハングルで 「市会決議 」が記されています。非核「神戸方式」とは、神戸港に入港しようとする外国艦船に対して「核兵器を積んでいない」という「非核証明書」の提出を義務づけ、証明書を提出しないと入港を許可しないというものです。決議以後33年間、アメリカ艦船の入港はゼロだという。 ◆戦没した船と海員の資料館 S13年に「海員徴用令」が出された。1941年から45年の第2次世界大戦で犠牲になったのは、官・民一般汽船3575隻、機帆船2070隻、漁船1595隻、計7240隻(政府発表)。一般船の88%は撃沈され、海員の48%が犠牲になった。犠牲者は計231、600名という。亡くなった中には小学校高等科卒業で海員学校に入り船に乗せられた14歳の少年も987人含まれていた。生存者が1人もいない戦没船もある。 大阪商船の亜米利加丸(引揚げ船)、白十字の標識をつけた阿波丸(捕虜輸送船)、疎開児童を乗せた対馬丸などもあった。 「戦没船を記録する会」が収集した資料を全国廻って展示会をしていたが、1999年全日本海員組合全国大会で承認され、 「海員組合旧本部会館 」内に「海の墓標を」と鎮魂と不戦のあかしとして2000年8月15日資料館として開設された。7240隻の姿の全てを写真で一つ一つ展示し(写真のないものは船名だけ)、模型にしてその姿を偲ぶものになっている。文字通り戦没船の犠牲者は海の藻屑となって何も帰ってこない。その悔しさ、悲しさが胸に迫り、説明の藤丸さんの「海の仕事は平和でなければ・・」の言葉が重く響きました。 ◆神戸港の軍事基地 神戸港では漁船2隻に分乗して海から港内を廻りました。港内に海上自衛隊阪神基地隊として水深10メートルの専用バースを持つ重要な基地になっています。掃海艇「つきしま」「くめじま」が所属し、呉から紀伊水道まで瀬戸内海をコントロールしている。掃海艇一隻が係留されていた。港の湾岸には川崎重工業、三菱重工業、新明和工業など造船所とドックが並び、マースクシーランド(米海軍の荷受海運会社)も存在する。 私たちが乗せてもらった漁船は、シラス漁をしているといい親子二人の操業のようでした。イージス艦「あたご」に衝突された漁船もこんな小さな漁船だったのかなぁと想いました。若い方の人が「皆さんは何をしているのですか」と聞くので、「戦争準備はダメだと見て廻っているの」と応えると、「そうですよ」と力強い答えが返ってきました。 ◆伊丹の陸上自衛隊総監部、千僧駐屯地などを横目に見て通り過ぎ舞鶴に向かった。 ◆軍港の町 舞鶴で 舞鶴では五老ヶ岳山頂から美しい港内を一望し、戦前からの軍港のあらましの説明を聞く。舞鶴は1901(M34)年に舞鶴鎮守府開設(初代長官は東郷平八郎)し、1903年には舞鶴海軍工廠ができた。舞鶴は100年余の間、戦争準備で成り立ってきた街、西舞鶴は旧細川藩の城下町、山(トンネル)を隔てた東舞鶴は軍港で栄えた町と2つに分かれて、東西を軍用道路でつないでいる。東舞鶴市街の通りの名は武蔵通や敷島通、三笠通のように軍艦の名前がついている。舞鶴市役所は基地に囲まれ、まるで基地の中にあるようにみえた。 1945年10月引揚げ第1船が入港、9年から、引揚げ船は舞鶴1港に絞られた。以後1958年まで66万人、遺骨16、269柱が舞鶴港に帰還した。1945年8月24日には朝鮮帰還者3、735人を乗せた浮島丸が舞鶴湾でなぞの爆沈(死者549人)をした。1950年6月朝鮮戦争が始まり、7月には警察予備隊・海上保安隊の増強が始まった。湾岸には引揚桟橋跡や引揚記念館、浮島丸の慰霊碑もある。
市役所のそばに遊覧船の発着場があり、船上から舞鶴港を廻って視察した。海上自衛隊の教育隊の建物、燃料貯蔵所が並ぶ。舞鶴飛行場(軍事ヘリ基地)、海上訓練指導隊や自衛隊宿舎が並ぶ湾岸。火薬庫も3ヶ所(白浜,乙島、岩子)に散在し(保管量110屯)、水雷整備所、機雷倉庫地区、海上保安学校などが並ぶ。自衛隊に囲まれて京都大学水産試験場が唯一の平和施設として存在しているのは、かつての府知事蜷川さんのおかげ。 舞鶴基地は244、3810?の広さをもち、甲子園球場の54倍。隊員は約4、000人、家族を含むと約9、500人(舞鶴市人口は約95、000人)。港の西側には小樽行きのフェリー桟橋もある。ここで最近大掛かりなテロ対策訓練が行なわれた。 舞鶴港には護衛艦(13隻)、ミサイル艦(3隻)、掃海艇(3隻)、輸送船(1隻)補給艦(1隻)が所属、北吸係留所(桟橋1、005トン)にずらりと並んでいた。我々の海上基地視察の時は護衛艦「あたご」は不在だったが巨大な南極観測船も係留していた。その横はユニバーサル造船(日立造船所)があり、大きなクレーンや船のパーツが横たわっていて、軍産一体の姿を見た。湾の出口には火力発電所がある。
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◆あいば野演習場
広大な山野(2、433ヘクタール)を囲い込んだ「あいば野演習場」は日米合同演習場。日曜日で演習がなかったので、バスで基地内に乗り入れ、途中から徒歩で山登り、小俵山から都市型訓練施設を展望した。 基地内には古墳や遺跡が存在し、天然記念物の湿原も存在する。手付かずの雑木林にはわらびがいっぱい、山菜や松茸も多い。雑木林と牧草地が、M19年旧陸軍によって大阪鎮台の演習場として開発された。戦後1945年以後1956年まで米軍が占領し、朝鮮戦争時は激しい訓練がされていた。1986年以降日米合同演習が始まった。基地内を小浜から今津への「鯖街道」だった国道303号が通っている。 小俵山の山頂で「監視レーダー車両」と遭遇、若い自衛隊員が車両から監視活動をしていた。基地内に都市型訓練施設として模擬市街地(市役所、銀行、レストラン、雑居ビルなど)を作っていた。年間約30万人が330日間演習をする。射撃訓練約150日、ヘリコプター訓練約270日。演習場外(市街地)徒歩訓練は年間20回。住民との事故も起こしている。 ◆航空自衛隊分とん地 「あいば野基地」内に航空自衛隊第4高射郡基地があり、高い檻のような塀で囲い込んで監視員が立っていた。中は見れなかったが「ミサイル防衛(MD)」計画に基づきPAC3(パトリオット3)の配備が進んでいるという。隣接して旭化成工場があり、これも軍産一体の姿かと疑いたくなる。
31日夕方、舞鶴「サンライフ」で、交流会が行なわれた。10年前、伊根沖でカニ漁をしていて、自衛艦に当てられた漁師の長崎さんは「自衛艦は漁船を避けてくれる事なんかない、いつも、そこのけそこのけ軍艦が通る」「民間船を標的にさえする」と証言。 4府県の安保実行委員会の企画だったが、米軍再編と併行して着々と進められる戦争準備の実態を見て、基地強化で費やされる軍事費の現実、それぞれ各地で平和と基地反対、戦争準備を許さないでこの実態告発にがんばる人々の存在を力強く感じた有意義な二日間。憲法改悪に先行して着々と実行する米軍再編・戦争準備の実態をもっと多くの人に知らせたいと思う。 |
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(07.12.4 No.187 安保破棄闘争速報より)
12月1日、岩国・錦帯橋近くの河原は、万余の人々が掲げる「怒」の文字で埋め尽くされました。 高齢の方も含めて市民が多数参加した「国の仕打ちに怒りの1万人集会in錦帯橋」では、井原市長の挨拶、民主・共産・社民等の国会議員の一言発言、一般市民代表の意見発表の後、 「集会アピール」(別掲)を大きな拍手で確認、『国の仕打ちは許さん怒!』と唱和しながら「怒」の一字を書いた紙をいっせいに掲げて抗議の意思を示しました。 清流と錦秋に燃える山に向かって、最後にみんなで「故郷」の歌を合唱、美しく静かな岩国を取り戻す願いと決意を参加者全員が胸に刻みました。 岩国始まって以来1万1千人が参加したこの日の行動は「朝日」や「毎日」がカラー写真入りで報道しました。 数十台のバスなどで参加した県内、中・四国からの参加者とともに、関西の代表は、一部新幹線で行った参加者以外に、大阪からマイクロバス2台に分乗した約50人が片道5時間かけて集会に駆けつけました。 大阪安保が、母連・大教組・府高教・新婦人などの協力で作成した5mの激励寄せ書き旗が注目されました。 「『米軍艦載機くるな』のどこがアカンねん!」と大書し、錦帯橋のイラストを描いた薄緑色の寄せ書き旗には、100人をこえる人たちの署名や激励の言葉がぎっしり書き込まれています。 集会後、記念写真を撮った後、この旗を井原市長夫人に手渡しました。 全行程13時間に及ぶ文字通りの強行スケジュールでしたが、往復の車中では、歌唱指導や全員合唱、配布資料の説明、活動報告・訴え・感想などで交流を深めました。 翌2日、米軍司令部の移転に反対する座間大集会には首都圏を中心に1万3千人が結集しました。日本平和大会(沖縄)参加者などによる「11.25キャンプ・シュワーブ包囲人間の鎖行動」(1,300人)の成功とともに、日米軍事利権がらみの米軍再編・基地強化に反対するたたかいが、連帯しながら大きく発展し、日米政府の横暴を追い詰めていることが実感される昨今です。
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核兵器積載可能艦の入港許すな!
大阪市は市議会が全会一致で採択した「大阪港平和利用決議」(94・11・9)を無視して、また米艦の入港を許可しようとしています。 「核兵器を積んだ米艦の寄港は事前協議の対象外」という日米間の「密約」があったことが、アメリカ国務省の公文書ですでに明らかになっているのに、「事前協議がないので、核兵器は積んでいない」という外務省の言い分を鵜呑みにして、イラクの無法な戦争で罪のない人たちを殺戮している米軍の艦船を入港させることなど、断じて許すことはできません。 「平和な商業貿易港の軍事使用反対!」の声を米艦と大阪市長につきつけようではありませんか。
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アジア最大の米海軍基地の街 横須賀市のヴェルニー公園で「米原子力空母配備、 米軍再編 ・強化反対」をかかげた7.9横須賀大集会が開催されました。首都圏を中心に近畿、北海道をはじめ全国各地から3万人が参加しました。(近畿からも代表団を組んで参加) |
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安保廃棄6.23大阪集会 |
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扇町公園に1,500人
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4.4米艦船入港抗議昼休みデモ |
米艦入港抗議行動
●日時/4月3日(月)より 抗議昼休みデモ ●日時/4月4日(火)より ●呼びかけ |
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大阪から約30団体 、100名近くが参加 大変な天候の中 、本当にご苦労様でした 。
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いま、米軍は全国の基地機能の強化を進めています。これと呼応して、自衛隊の強化・米軍との一体化の動きも顕著です。これらの動きは、イラク戦争のような、アメリカが世界中でおこす戦争の最前線に自衛隊を送りこみ、日米両軍が共同して戦うことをねらうものです。これは憲法9条を変え、日本を戦争できる国にする動きともつながっています。 こうしたもとでの今回の演習は、対ゲリラ訓練のために建設された都市型訓練施設での本格的な人殺し訓練をねらったものです。 自衛隊をアメリカがおこす戦争の最前線に送りこむ日米合同演習に反対し、平和な未来を願う「あいば野集会」にあなたもぜひ参加してください。 |
12日 、現地あいば野は一面の雪景色 。会場となった今津町の橘公園は15センチ程の積雪 。県外からの参加者はビックリ!時折 、激しい横殴りの吹雪にみまわれながら意気高く抗議のシュプレヒコールを響かせました 。大阪からも各団体旗をなびかせ 、デモの先頭で出発 。 地元 、滋賀県の労組 、民主団体からは500名が参加 。近県からかけつけた仲間と共に現地のたたかいを大きく励まし 、米軍と自衛隊の一体化は許さない決意を固め合いました 。
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立て看板運動をはじめ名護市長選支援のご協力ありがとうございました。結果は残念なことになりましたが、
新基地建設反対にあいまいさを残す新市長の誕生で現地のたたかいは、いっそう緊迫化せざるを得ないと思います。 大阪安保 名護市長選支援への 2006年1月23日 安保破棄中央実行委員会
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大阪実行委員会は1978年以来、毎年夏の「北海道平和ツアー」を行ってきました。このツアーには、これまで全国各地から1200人近い方々が参加され、毎年毎年、すばらしい出会いと感動を積み重ねてきました。 歴史と伝統ある楽しいツアー ぜひご参加ください! 第27回 2005年 北海道平和ツアー 05年8月18日(木)〜24日(水)6泊7日
●東京発 156,000円(同上) ◆最終締切/7月25日 ●大阪発、東京発 主な行程
1978年から続いているこのツアーには、これまで全国各地から延べ1,191人(うち大阪は621人)が参加されています。 主催/安保破棄・諸要求貫徹大阪実行委員会 〒543-0014 大阪市天王寺区玉造元町17−22 TEL06−6763−3833 FAX06−6763−3836
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◆4年ぶりの帰島になった三宅島へ11年ぶりの「激励交流ツアー 」計画は、ガス噴出など現地の状況が悪いので、延期いたします。決まり次第お知らせいたします。
主催/安保破棄大阪実行委員会 TEL 06-6763-3833 |
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